
出島は来舶ポルトガル人を隔離収容するために海中を埋築し、1636年(寛永13年)完成しました。
その翌年島原の乱が起こり、1639年(寛永16年)幕府はポルトガル人を渡航禁止にしました。
これにより出島は空家となりました。
そこで1641年(寛永18年)平戸のオランダ商館をここに移しました。
以来、安政の開国まで約220年間、出島は阿蘭陀屋敷と呼ばれていました。
出島のオランダ商館では、この地を通じて日本とヨーロッパを結ぶ経済・文化の交流が行なわれていたため、日本の近代化に果たした功績は大きい言えます。
現在出島の周辺は1904年の港湾改良工事で埋め立てられ、島ではなくなっています。
かつての出島の範囲を示すため、道路上に出島のへりを示す鋲が打たれています。
また、1991年には地元テレビ局・NIB長崎国際テレビが開局され、情報発信拠点としても活躍しています。
1996年度から長崎市が約170億円をかけ、出島の復元事業を進めており、2000年度までの第1期工事で商館長次席が住んだヘトル部屋など5棟が完成しています。
そして、第2期復元工事は2006年4月1日に完成公開され、オランダ船から人や物が搬出入された水門、商館長宅「カピタン部屋」、日本側の貿易事務・管理の拠点だった「乙名部屋」、輸入した砂糖や酒を納めた三番蔵、拝礼筆者蘭人部屋など5棟が復元されています。
出島は現在長崎の観光名所としてはずせない場所となっています。